工房建設から開業までの日々                                                   トップページへ


 職業訓練校を卒業後木工所に就職して足かけ10年、迷った末に独立開業を決意し
家族の協力のもと、まず場所探しから始まりました。
貸し工場、倉庫、民家など建物を探すことから始まりましたが、条件に合うものがなか
なかみつからず、工房を建設という方向へむかいました。
以前勤めていた木工所でも開業当初、近隣の住民との間で騒音などでトラブルを起こ
したと聞いていたので、そういうことだけは避けたいと思いこの事にはかなり神経を使
いました。毎週休日となると妻と一緒に車で探し回る日々です。
騒音など諸問題を考えると自然と旧市内を避けて旧郡部へ、そして紆余曲折(ちょっと
大袈裟でした)の末、菊川町大字吉賀竜王の土地に決まったのです。
その土地には農業機械を入れておく倉庫が建っていました。この倉庫の骨組を利用し
て新たに工房を増築することになったのです。

  2007年8月29日                                つづく
 既設の倉庫を増築するということで地鎮祭はしなくてもいいのではないかと言われま
したが、何事も経験と思い2007年3月18日のよく晴れた日にお供え物を揃え、無事行
いました。
その2、3日後に解体工事に取り掛かりましたが、骨組は使わなければならないので
一気に取り壊すというわけにはいかないので、屋根だけを残し波トタンを剝ぎとりました。
屋根を残したのは大工さんがここで増築部分の材料の刻みをするためで、基礎工事が
終わったら材料が運び込まれました。
地鎮祭の日は天気がよく春も近いと感じる暖かさでしたが、大工さんの刻みが始まると
とたんに冬に戻ったようで、大工さんにとっては壁のない屋根だけのこの場所では拷問
に近い状態だったでしょう。この時期私はまだ木工所に勤めていましたが、休みの日に
現場に行くと北側に華山(ゲサン)というこのあたりでは一番高い山があるのですが、そ
の華山から吹き下ろす風が恐ろしく強く冬は大変だとちょっと後悔したものです。

  2007年8月30日                                つづく   
 
基礎工事とともに大工さんが一人で材料を刻んで行き、棟上げに向けて作業は進んで行きましたが、当時は風が強い日が本当に多く大工さんには
過酷な日々でした。工房は既設倉庫の部分が組立などの作業スペースで、増築部分が機械作業のスペースとなります。既設倉庫では梁までの高
が低いため増築部分は材料が立掛けられるように土間から約5メートルの高さを取って片流れ屋根の設計になりました。
基礎はベタ基礎で機械を設置するために充分な厚みを取っています。設計に入る前に柳井機工商会さんと購入する機械の商談は済ませてあったの
で平面図が出来上がったら真っ先に機械の配置を決めるために購入する機械の寸法を測りに柳井市まで行きました。スペースを有効に使う為には、
機械の配置は重要で横切り盤などはテーブルがスライドするために機械の前後のスペースも確保しなければなりません。その上大型のカウンター等
をもしも留めに加工する様なことがあるかも知れない等と考え始めたらキリがないのですが空間は限られているのである程度の所で妥協しなければ
なりません。それによく考えるまでもなくそのような加工は造作マルノコを使えばいくらでも出来ます。一つのことを考え始めると一点集中になってしま
うのが私の悪い癖です。
そして機械に接続する電線が作業中邪魔にならない様にコンクリート内部を通すための配管の位置を電気屋さんに指示して完璧と思ったのですが、
横切り盤の位置を機械設置の時に修正したためにただ一か所埋め込みの配管が使えませんでした。結局電線を埋めたものの見えなくなった訳では
ないのでやはり足元で邪魔になっています。集塵機に至っては電線が機械場を斜めに横切っています。
今後工房建設をお考えの方がおられるのであれば、あまり几帳面に考えない方がいいですよ。ホンマ疲れます。

  2007年8月31日                              つづく          
 4月12日棟上げ 
3月末で木工所を退職しましたが、4月に入っても忙しかったためにアルバイトとして職場に残っていました。しかし自分の工房が立ち上がってゆくところを見たかったので棟上げ当日は休むつもりでいましたが、その日に家具の取り付けがあったので休む事が出来ず
妻に弁当や祝儀を届けてもらい、写真を撮って来るように頼みました。
仕事の帰りに私も現場に行って見ましたが、基礎だけでは感じる事の出来ない工房全体の空間を意識する事が出来た事をよく覚えています。この日からほぼ毎日仕事帰りに現場に立ち寄って帰るのが日課になり、一日一日確実に工事が進んで行きました。

  2007年9月1日                               つづく
 
サッシ取り付け

 棟上げが無事に終わると再び大工さん一人での作業となりました。すぐに玄関や窓のアルミサッシや
シャッターが取り付けられ、それと並行して板金屋さんよる屋根工事も行われました。
増築した部分に比べ既設の建物は元々倉庫ということもあり材料も規格のものよりは小さく建物自体が多少歪んでいたので大工さんが外壁の下地を作るのにかなり苦労したようでした。
防風、防水シートを張り終わるといよいよ外壁工事です。

  2007年9月2日                             つづく
外装工事

外装はサイディング材を張ってもらいました。当初、濃い目の色にしてサッシの白とのコントラストで目立たせようかなどと思いもしたのですが、家具工房では製材などでの木粉塵が出ます。濃い色の壁だと埃が目立ってしかたないだろうということで、それならば埃と同じ色にしようということになりこの色に決まりました。開業してみてやはり埃は気になりません。この色で正解だったと思います。
工房の裏の田圃でお米を作っている方に「このあたりにゃ無いシャレタ色じゃけぇ、よお目立つでぇ」などと言われて結構気に入っています。 
大工さんは増築部分から外装材を張っていきましたが、既設部分になると建物が多少歪んでいるので苦労していました。

  2007年9月3日                            つづく
大工工事終了

外装版を張り終えると大工さんの仕事は床張りだけとなりました。床を張るのは既設倉庫の部分だけで、機械場はコンクリートで仕上がりです。既設倉庫の土間はコンクリートでしたからその上に根太を敷きその上に12ミリの針葉樹合板の二重張です。

この時期には私も木工所を退職していたので毎日のように現場に顔を出し、草刈りなどやっていました。大工さんの仕事が終わると電気工事と水道工事です。

  2007年9月4日                            つづく
 
 内装

電気工事が終わると作業場の壁の一部を4ミリのベニヤ板で塞ぎました。棚や机を作るつもりでいましたから柱だけでは少々みっともないと思い下地を作り、断熱材を入れてベニヤを張りました。

結局、壁を張ったのは写真に写っている部分だけなので玄関側から見ただけならいいのですが、中に入って振り返ると断熱材がむき出しの壁なので、やっぱりみっともないのでした。すぐに張るつもりでいたのですが、材料などを壁に立てかけたりしたものですからメンドクサクなり今日に至っています。
工房に来られたお客様はほとんどの方がマイナスイメージを持たれて帰られたのではないかと思います。まあそのうちに張るつもりですが、
何時になるやら。

  2007年9月5日                            つづく
看板

電気工事、水道工事と無事終わりあとは機械の搬入据え付けを待つばかりです。機械が入る前に看板が出来上がったので取り付けました。この看板、東京でデザインの仕事をしている友人がロゴのデザインを考えてくれたのです。持つべきものはやはり友ですね。ホームページを自分の手で作ることが出来るかどうか不安でしたが、同業の先輩に死ぬ気でやれば出来る。そう言われ死ぬ気になってはじめましたが、本当に死にそうにななった時に、この東京の友人に電話で何度もアドバイスを求めました。何度も言いますが本当に友情とはありがたいものです。おかげで私は死なずに済みましたが、電話代はかなりの請求があったのではないかと思うとカミさんの様子が気になります。

  2007年9月6日                             つづく                            
 
 機械搬入

機械の搬入は3回に分けて行われました。
初めて機械屋さんと面談した時にこちらの求める機械がすべて揃ったので話はとんとん拍子に進んだのですが、あまりに調子良すぎてプレスの事で話が通じていませんでした。このためプレス以外の機械を5月30日と6月5日に搬入しプレスはその後しばらくして据え付けました。
私が勤めていた木工所で使っていたのが半自動プレスだったので、同じ半自動プレスを購入するつもりでいたのですが、機械屋さんの方では全自動プレスを考えていたようで初めからくいちがっていました。そもそも購入する機械をすべて見せてもらいましたが、当日プレスだけが別の場所にあったために確認出来なかったのです。このため後日メールで画像を送ってもらって愕然としました。パソコンの画面に映っているプレスはまるで宮崎アニメで見た巨大な要塞のようでした。こんな物を工房に入れたら私の居場所はなくなってしまいます。そもそもシャッターの開口部をくぐれません。慌てて確認して新たにプレスを探してもらう事になりそのためプレスだけ遅れました。

機械はすべて中古機械でほとんどの機械が廃業した建具屋さんのものでした。機械に関しては欲しいと思えばキリがありませんが、予算とスペースの問題がありますので限度があります。とりあえず仕事をするのに必要なものは揃ったので満足しています。昔と違い今は中古機械が揃うので求め易くなっていると思います。
機械が入るとスグに作業台を作り、プレス搬入の前に開業しました。
椅子の修理が最初の仕事でした。私のくだらない話にお付き合いいただきお疲れ様でした。
夕方6時を過ぎると何故かハングル語の放送になってしまうラジオとともに今日もこの工房で黙々と作業しています。気軽に声を掛けてください。

  2007年9月8日                             おわり

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